ジョンマンって、どんな人?
そんな疑問から訪れてみた、ジョン万次郎資料館。
失礼ながら、私は「無人島に漂流してアメリカから帰ってきた人」くらいの知識しかありませんでした。
でも、ここに来れば「こんな人だったのか」がわかります。
ジョン万次郎は、まちがいなく高知県が生んだ偉人の一人。「坂本龍馬以外にも、こんなすごい人がいたんだ」ということに、正直驚き!
個人的には、こう思わせてくれる生き様でした。
人生に追い風が吹いたら、乗ってみてもいいんじゃない?
みなさんは、どんなふうに感じるのでしょうか。
今回は、高知県にある『ジョン万次郎資料館』をご紹介します。
アクセス
高知県南西部にある、土佐清水市。

高知県の四万十市〜宿毛市をつなぐ、国道321号を通ります。

国道321号は別名「サニーロード」

晴れた日には青い海と空が広がり、美しい景色を楽しめるでしょう!
高知県側(四万十市方面)
四万十市や土佐清水市街地から来るなら、左側に見えるオレンジ色の建物。

愛媛県側(松山市方面)
愛媛県から高知県宿毛市を抜けてくるなら、左カーブにある交差点を右へ。

愛媛県から四万十市(高知県)を経由することもできますが、おすすめルートはやはり宿毛市。
↓
津田岩松IC
↓
国道56号
↓
国道321号

距離は長くても走りやすい
松山空港から 約3時間30分(高速利用)
ジョン万次郎資料館
倒幕に大きな影響を与えた坂本龍馬をはじめ、数々の偉人を輩出してきた高知県。

そこに、これほど「不屈の精神を持った人物がいた」とは思ってもいませんでした。
入館料
中にある、総合案内所で入館料を支払います。

手帳を見せれば福祉割引もありますし、以下を見せると団体料金が適用されます。
・JAF会員証
・イオンカード(本人のみ割引)
・SDカード
・ベネフィットステーション
・JAL麗らか四国キャンペーン
・高知家健康パスポート
館内
館内はそれほど大きくはないものの、中身がギュッと詰まった印象で、

館内が空いていれば、1時間くらいで見て回れます。
最終受付:16:30
駐車場は広いのですが、

気になるとしたら、館内の混み具合?

「館内自体がすごく大きいわけではない」ので、混んでいると先に進みにくいと思います。

立ち止まって読むから
そのほか館内には、観光パンフレットが置かれていたり、

小さめの食堂(11〜15時)もあります。

展示
ジョン万次郎資料館は入ってすぐから、万次郎の少年時代に関する展示があり、

1階の有料エリアは、「万次郎の人生を大きく4つにわけて展示」しています。
B:アメリカライフ
C:日本帰還
D:幕末維新への扉
総合案内所のすぐ前が、有料エリアへの入口で、

ここは資料館。文字をじっくり読んだり、

当時の様子も思い浮かべながら、前へ。

タペストリーや、

床、

壁も展示の一部で、数々の印象的な言葉も記されています。

当時の物が複製されていたり、

2階にも展示品があるので、足を運んでみてくださいね。

基本的に文字ですが、子どもさんにもわかるように書かれているものや、

鯨が出てくるトリックアートもあるので、

捕鯨ボートや見張り台に立って、記念撮影もできます。

どんな人?
館内には「万次郎の人生を要約したもの」がいくつかあり、

2階の年表は箇条書き&時代背景も書かれているため、一連の流れを追いやすいです。

展示をもとに
ジョン万次郎資料館内の展示を使いながら、

できるだけわかりやすく、私なりにジョン万次郎の人生をたどってみました。
万次郎が生まれたのは、現在の高知県土佐清水市中浜。

9歳の時に父を亡くした万次郎は、家計を助けるために10歳から下働きに出ます。

初めて漁に出た14歳の時、仲間4人と共に遭難。無人鳥(現・鳥島)に漂着し、

アホウ鳥を食べたり雨水などを飲みながら、無人島で143日間生き延びていたところを、

アメリカの捕鯨船『ジョン・ハウランド号』に救助され、

万次郎の運命を大きく変えることになった、ホイットフィールド船長と出会います。

万次郎たち5人は船の仕事を手伝い、ホイットフィールド船長に気に入られた万次郎は、ホノルルで仲間と別れて、一人アメリカへ!

無人島を出て1年10ヶ月の万次郎、いつしか船の名前が入った「ジョンマン」と呼ばれるようになっていました。

ホイットフィールド船長の故郷・フェアヘイブンに到着後、小学校で英語の基礎を身につけた万次郎。
さらに、専門的な学校で航海術などを学び、首席で卒業。

その後、ホイットフィールド船長が航海に出た留守の間に、捕鯨船『フランクリン号』へ乗船することになり、

世界各地を航海して、銛打ちとして力を発揮するまでになるものの、

航海を終えた万次郎の心に浮かんだのは、故郷にいる母でした。

ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで帰国資金を作っただけでなく、

商船に乗ってサンフランシスコを出発し、ホノルルで仲間3人と再会します。
親しかったデーモン牧師の助けもあり、帰国のため『サラ・ボイド号』に乗って琉球(現・沖縄県)の沖まで行き、

そこから、ゴールドラッシュで得た資金で購入していた捕鯨用ボートで琉球に上陸。
24歳になった万次郎は、10年ぶりに日本の地を踏んだのです。

琉球→薩摩藩→長崎藩に続いて土佐藩で取り調べを受ける中、万次郎はこの掛け軸(複製)を残しています。

早くから下働きに出ていたため、幼少期に「読み書きを十分に学ぶ機会」がなかったかもしれません。
ですが、異国で英語を学び&航海術を身につけたうえ、通訳を務めるまでになった万次郎。

初めての漁で遭難して無人島で生き延びただけでなく、その並外れた学習意欲&努力に、胸を打たれます。

土佐藩の取り調べが終わって無罪放免になった万次郎は、11年ぶりに故郷・中浜で母と再会を果たし、

土佐藩の藩校『教授館』で英語や海外のことを教えるうちに、土佐藩士になっただけでなく、

幕府に直接支える武士・幕臣として、江戸へ召し抱えられることになるのですが、

この頃には、中浜(中濱)の姓を名乗っていたように書かれています。

33歳の時、咸臨丸(船長・勝海舟、福沢諭吉なども乗船)に乗り、日米修好通商条約の通訳としてアメリカへ渡ったり、

42歳で開成学校(現・東京大学)の教授となります。

ヨーロッパを視察しに行った43歳の時、第2の故郷・フェアヘイブンで人生の恩人と再会し、

44歳で脳溢血を起こして以降、晩年は静かに過ごして71歳で亡くなったと書かれています。

万次郎が息子たちにいつも言っていた言葉が、ジョン万次郎資料館の壁にも書かれています。
決してあきらめてはいけない
“ ジョンマンスピリッツの象徴 “と言われるこの言葉の意味、やっとわかったような気がします。
影響を受けた?
ジョン万次郎の存在は「近代国家への道を開く、一つの種」だったのかもしれません。

土佐藩で取り調べを受けている万次郎に話を聞き、公式な報告書などをまとめた人物が、河田小龍という絵師。

河田小龍が話をまとめた、およそ2年後。そこを訪れてきたのが、坂本龍馬でした。
また、万次郎が土佐藩の藩校『教授館』で英語や海外のことを教えていた時に、若き日の後藤象二郎にも出会っています。

後藤象二郎は、のちに土佐藩主・山内容堂から『開成館』の運営を任され、「英語や航海術などを教えるように万次郎に依頼」しています。

土佐藩の船『夕顔丸』を買う際にも、万次郎らと共に上海へ渡っています。
その1年後、この船の中で生まれたのが坂本龍馬が考えたと言われる「船中八策」。

船に一緒に乗っていた後藤象二郎は、これを山内容堂に進言し、容堂は将軍慶喜に大政奉還を建白して、慶応3年(1867年)10月14日に政権が朝廷に返上されました。
万次郎少年像
ジョン万次郎資料館から、すぐ。

この石碑の前にあるのが、

万次郎少年青年像。

苦難を乗り越えた4人の仲間と共に、

過酷な無人島で必死で生きようとする、

万次郎少年の力強い姿があります。

宿泊施設

宿毛市内
◯全室オーシャンビュー&棚田みたいな露天風呂に泊まる
◯遍路道へのアクセスもよく、コンビニ近く
◯柏島などへの観光やビジネス、遍路旅にも
◯コスパよく泊まって海鮮料理も楽しむ
土佐清水市
◯高知県立足摺海洋館SATOUM(水族館)からすぐ近く
◯温泉を楽しんだり、犬と泊まれる部屋を探すなら、
◯遍路旅にぴったり!のんびり過ごせる民宿
◯全室オーシャンビューの絶景と星空の夜を楽しむ
◯リゾート感あふれるホテルから太平洋を眺める
◯遍路疲れを癒すなら落ち着きある民宿
◯星空鑑賞と温泉で心に残る旅を
まとめ:どんな人?

ジョンマンって、どんな人?
私が思うジョンマンは、こんな人かもしれません。
勤勉かつ勤労で、目標に向かってまっすぐ進み、恩を忘れず義理堅く、苦難にひるむことなく挑戦できる、不撓不屈の心を持つ人。
これだけでは足りないでしょうが、少なくとも私自身はこう思えるようになりました。
人生に追い風が吹いたら、乗ってみてもいいんじゃない?
みなさんはどんなふうに感じるのでしょうか。
今回は、高知県にある『ジョン万次郎資料館』をご紹介しました。













(館内にある写真なども「SNSなどに載せて構わない」とのことでした)